秦の始皇帝って中国を統一した後どうなったの?不老不死を求めて大爆走!秦の滅亡までを短く解説

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こちらのブロマイドに写っているメタボリックな中年男性は、秦の始皇帝こと本名、政(せい)さん。決して関羽さんではありません。

秦の始皇帝の顔

この人が中国をはじめて統一した人でして、中国大陸に存在したほかの6カ国を滅ぼし、初めて中国大陸の統一国家である秦(しん)を作ったスゴい人です。決して関羽さんではありません。

今回は、中華統一後の秦がその後どうなっていったかを簡単に短く紹介しようと思います。政が中華を統一するまでは過去の記事に書いてありますので、そちらを見てみてください。

中華統一までの始皇帝についてはこちら

 

秦の始皇帝の誕生

政はついに中国大陸を統一するという偉業を成し遂げます。

秦の勢力図

文字もしっかりと誕生していない、それ以前の中国の伝説には、三皇五帝(さんこうごてい)という8人の名君主がいたと言われ、政は彼らよりも自分の方が偉大なのだ!という考えから、ある称号を作り出します。

 

始皇帝

彡(^)(^) 「皇と帝をくっつけて皇帝って名乗るンゴ!8人よりワイがいっちばん偉いンゴ!」

と、歴史上初めて皇帝を名乗り、自分の偉大さを民や周辺諸国に示しました。

 

さらに始皇帝は、その絶大な権力と国力によって大規模な土木工事を実行します。

北の異民族から国を守るため、万里の長城(ばんりのちょうじょう)という城壁を作り直させ、宮殿としてはとてつもない大きさである阿房宮(あぼうきゅう)を建設させます。

また、政が若い頃から建設を続けていた始皇帝陵(しこうていりょう)にも引き続き人員を投じます。始皇帝陵とは、政が亡くなったあとに入るお墓のことで、室内には水銀の川や海が作られたと言われるほど壮大なものでした。

始皇帝について

しかし、民を酷使する土木工事は後々の秦の崩壊につながります。

 

不老不死を求めて迷走

年老いた始皇帝は、次第に自身の死期を恐れるようになっていました。

ある日、そんな彼の前に徐福(じょふく)という方士(ほうし)がやって来ます。方士とは、特殊な技術や方法などを会得した人のことで、彼らは魔術も錬金術も朝飯前だぜ!という凄すぎる人々でした。

その方士である徐福は、金銀財宝を出してくれるのならば、不老不死の薬をはるか遠くに住む仙人達から貰ってくると言うのです。

 

始皇帝

彡(゚)(゚) 「中国大陸を統一したはいいが、ワイももう年とってきたなぁ。寿命がきて没したらどうなるんやろう・・・。考えただけで怖くて禿げ上がりそうやわ」

徐福

( ・`ω・´) 「始皇帝さま、自分は不老不死の薬のありかを知っております。」

始皇帝

彡(゚)(゚) 「そんなもんに騙され・・・なんやて!それ飲めば不老不死になれるんか!?」

徐福

( ・`ω・´) 「もちろんでございます。お肌もツルツルでございますよ。」

始皇帝

彡(゚)(゚) 「そんなもんに騙され・・・なんやて!旅費なんかの資金はたっぷり出すから取ってきてくれンゴ!」

なんと始皇帝はGOサインを出してしまいます。ちなみにこの徐福ですが、日本に薬を探しに来たという伝承が残っているらしいです。

これに気を良くした始皇帝は、徐福以外のほかの方士達も召し抱えることにします。ちょっと胡散臭い方士達を信じてしまうことで、寿命の恐怖からすでに正気を失いつつあった始皇帝はどんどんおかしくなっていきます。

 

秦の滅亡

しばらく経つと、召し抱えた方士達は 「書物なんて必要ありません。過去なんて振り返ってもなんにもなりません。」 などと自己啓発本みたいなことを始皇帝に言及します。

 

始皇帝

彡(◎)( ◎) 「方士に言われるとそんな気がしてくるンゴ・・・。」

始皇帝

彡(◎)( ◎) 「・・・。命令やで。占いとかの書物だけ残してほかの書物は焼いてしまえ。」

始皇帝

彡(◎)( ◎) 「ん!?なんや!文句ある奴がいるみたいやな!そんな奴らは生き埋めやで!」

この、貴重な書物を燃やし、罪のない人間を犠牲にした事件は焚書・坑儒(ふんしょ・こうじゅ)と呼ばれ、始皇帝の暴走を象徴する事件でした。

 

月日は流れ紀元前211年、始皇帝は広大な領土の巡遊を行います。不老不死の薬はいまだ手に入っておりませんでした。

巡遊、つまり広大な秦の領土を時間をかけて、始皇帝が自ら各地の視察に回ります。巡遊は実はこのときで五回目でした。

この旅の途中で始皇帝は病におかされ、不死の効果があるとされた水銀が入った薬を服用するなどして、最終的に亡くなってしまうのです。

秦の始皇帝の最期

それからすぐに小規模な反乱が起きると、始皇帝の圧政に苦しんだ農民なども反乱に加担することで、結果的に数十万にまで膨れ上がる大きな反乱に発展します。

この反乱に秦の二代目皇帝である胡亥(こがい)は即位3年目にして自害に追い込まれ、政の輝かしい活躍で初めて中華を統一した秦帝国はあっけなく滅亡してしまうのでした。

 

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